ポルトガル出張記 27/8/1

2年前の6月、学会を兼ねて、まだ行ったことがないポルトガルへちょっと出張。今から500年前の大航海時代、種子島に漂着し我が国へ鉄砲を伝えたポルトガル。フランシスコザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えたのも、ポルトガル。

リスボンへは直行便はなく、普通、ヨーロッパのどこかで乗り換えていくことになる。パリかフランクフルトか。今回はビジネスクラスが安かったエミレーツを使ってみた。ドバイというところもちょっと覗いてみたかった気持ちもあった。行き帰りともドバイで途中降機ということになる。羽田を夜の1時過ぎに出るとドバイへは朝の9時頃に到着した。約10時間の前半戦。映画を見て、ひと眠りするとやがてドバイだ。ドバイ空港はそのあまりの広さに唖然とする。多くの雑多な人種の旅行者が右へ左へと行き交っている。感染症が出たら一気に広がりそうだと余計な心配をした。また、すべてが、ぴっかぴか。そして、飛行機もBoeing 777-300の、新車だった。さすがoil money。俺の払ったガソリン代がこういうものに変わっているのか…。

約3時間休んでから再び飛行機に乗り、ポルトガルの首都リスボンへ。

有名なカステラ、天ぷら、金平糖のほかにもキャラメル、カルタ、チャルメラ、石けん(シャボン)、ビスケット、バッテラ、ビイドロ、おんぶ、と日本に伝わり、ポルトガル語が語源で日本語になった言葉もいくつも挙げられる。そうするとポルトガルの文化との出会いが、日本の文化と歴史に与えた影響は限りなく大きく、日本での日常生活にも色濃く西洋文化を伝えており、この国はなかなか好奇心をくすぐるところがあるようだ。ユーラシア大陸の東に位置する日本と西端に位置するポルトガルは意外と身近かもしれない。

リスボンのヴェラホテルに荷物を預け、早速、町を散歩。リスボンには石畳の旧市街が残っている。そして、その古色蒼然としている雰囲気には驚かされる。100年前から進歩していないのではないか。店のデイスプレイも、ええっと思うほど田舎臭い。どうしよう、これは来るのが間違ったのか。

一軒の店で女房が立ち止まった。手袋専門店だった。その店は軒先が3mほどしかない。でも奥が広く、京都によくあるような店構えだ。見本の手袋を選んで、これが欲しいというと、店主は女房の手を一瞥するなり、そそくさと奥の方へ入って行き、その手の大きさにぴったりの革手袋をひとつだけ持って来た。さすが老舗の大将。

2日目、3日目と滞在するに従い、だんだんとこの古くささが良くなってきて味がある、と思うようになった。

2日目には地下鉄にチャレンジ。切符は自動販売機になっていて、もちろん、ポルトガル語で書いてあるので使い方がわからず、まごまごしていると、突然、後ろの方からイングリッシュ!!という声が聞こえてきた。ああ、親切な駅員が教えてくれているんだと思った。振り返ると、別に駅員は見当たらない。ただ、灰色のニット帽を被った背の高い青年が柱の影で立っていただけだった。じっと、こちらを見守っているようで不思議に思いながらも、券売機の星条旗のマークを押すと英語に切り替わってくれた。さてと、つぎはどのボタンをと画面上を迷っているとキャッシュ オワ カードとまた声がかかった。そうか、先にお金を入れるんだ。5ユーロ札を入れて1回券のボタンを押して無事チケットが2枚買えた。よかったねと女房にいいながらゲートに向かおうとすると、後ろからさっきの青年が追いかけて来て「チェンジ、プリーズ」というではないか。“?”そうか、この青年は観光客に券売機の使い方を教えて小銭を稼いでいるんだと悟った。ああ、ポルトガルでは若者に職がないんだ。イタリアでも医師免許を持った若者がタクシーの運転手をやっていると聞いたことがある。ヨーロッパの経済情勢はきびしい。

リスボンでとっても楽しいのは路面電車。LRTというようなしゃれたものではない。日本の昔の古くさいちんちん電車だと思えばよい。これが実に面白い。市内を縦横に走っていて、写真やポスターで見たことがあるように、家々が連なる狭い石畳の小路を結構なスピードで走って行く。家から人が飛び出たら間違いなくアウト。窓に干してある洗濯物も取れそうだ。そして、その道が曲がりくねっているのだから面白い。一度乗って、病み付きになり、市内一周を何回となく繰り返した。

リスボンといえば有名な、例の大航海時代を記念した記念碑、“発見のモニュメント”。あれもとても気に入ってしまった。そこで最後の日にもう一度見たいと思って、乗り馴れたちんちん電車と郊外電車を乗り継いで2回も見に行ってしまった。

ああ、そうだ、忘れていた。食べ物。イワシの焼き物が名物だった。ちょっと小骨が…カステラ、これもちょっと田舎臭いがまあいいか。

リスボンは機会があればまたいってみたいな。

(追記:250年前にリスボンではマグニチュード8.5の大地震と津波が起き、ほとんどの建物が倒壊し、死者は5万人以上にのぼったそうです)