『車好き』

子供の頃から乗り物が好きで、電車に乗るといつも一番前の席に陣取って,床に届かない足をぶらぶらさせながら運転手になった気持ちで窓の外を眺めていました。
親父が仕入れのために車で出かけそうになると、俺も乗せてってくれといつもせがんだものです。父親は学校の先生をしていましたが途中で辞めて家業の靴屋をやっていました。その頃、運転免許を持っている人は少なかったのですが、父親は満州のハルピンで消防車を運転していて大型免許を持っていました(第2次大戦中にユダヤ人にビザを発行したことで有名な、叔父にあたる杉原千畝氏を頼ってハルピンへ行ったようです)。ですから日本へ帰ってきてもいつも車を運転したがっていました。どうもその血を引いたようです。

僕の小さい頃はまだ、SLが走っていました。
乗り物好きな僕はある日、SLを見に行きました。高山線(岐阜と高山と富山の間を結んでいる単線です)の美濃太田駅のプラットフォームで、もうもうと煙をあげ、車輪の間からはシューと蒸気を吐いているSLをながめていたら機関士が僕を抱き上げて運転席に座らせてくれたことがありました。機関助手は釜のふたを開けて中に石炭を放り込んでいました。ぱっと蓋をあけて運転席の後ろに山のように積んである真っ黒な石炭をショベルで放り込み、さっとふたを閉じる。また石炭をショベルですくって放り込む。その時に覗いてみた真っ赤になった釜の中の様子を今でも鮮明に覚えています。あの中に放り込まれたらどうしようかと思って。

大人になってもその嗜好がどうもなくならないようで、車を運転することが好きなのです。今の車は長距離を運転しても疲れません。富山から東京まで6時
間ほどかかりますが、時々往復しています。また、岐阜と名古屋に実家があるので東海北陸自動車道、国道156号線を3時間ほどかけて、よく行き来してい
ます。

i-podがとてもいいのです。パソコンでi-podに昔の青春時代の懐メロをいっぱいいれておきます。それに童謡からマーチ、演歌、ありとあらゆる曲をため込みます。FMトランスミッターの電源をシガーライターにつなぎ、さらに、それをi-podにつなぎ、周波数を合わせ、シャッフルモードにして大音響にするのです。つぎからつぎへと予想もしないいろんな曲が流れてきます。車はオートスピードコントロールです。右手でハンドルをリズムに合わせて叩きます。こうしているとどれだけでも走れるし、疲れが少ないような気がします。

外国へ行った時でも車を運転したくなるのです。
15年前にボストンに住んでいた頃はマサチューセッツ州の運転免許を取り、ホンダインテグラを乗り回していました。
5年前、フランスに家族旅行に行った時はパリのドゴール空港からレンタカーを借りました。フォルクスワーゲンのバンでした。
まず、空港からパリのデイズニーランドへ行きました。空港からすぐ高速道路に乗ったのですが、しばらくは地図通りだったのです。しかし、途中から様子がおかしくなり、変な地名が出てきてあせりました。どうも右に曲がる所をまっすぐ行ってしまったみたいです。しかたがないのでまた空港まで戻って地図をシミュレーションしながらやり直しました。
このあたりは道路も混雑していないのでまだ気楽なのですが、パリの町へ向かう時は緊張しました。なにしろフランス語がわからないんですから。道路標識を見ていると同じ単語が何回も出てくるので絵文字からたぶんあれはこういう意味だろうと勝手に推測しながら運転しました。いい加減な性格です。
無事にホテルもたどり着けたし、駐車場も入れられました。パリの町を観光すると凱旋門のまわりを5重6重に車が回っていてとてもあんな所はとても運転できないと誰しも思いますが、私はやむにやまれずどうしてもそこを通らなければならなかったので実行したのです。できました。ぶつかりませんでした。それが自慢で、ことあるごとに吹聴しています。でもだれもほめてくれません。残念です。世の人はみんな冷たいのです。

数日後、大西洋岸のドーウ゛イルの町に向かいました。前の晩は地図上で、高速道路の何番から降りて、何号線を通ってと何回もシミュレーションしました。スキーのポール競技みたいなものです。
フランスの田舎町を通っていくのですが、フランスの田舎は信号がないのです。ロータリーになっているのです。よく考えてみれば大変合理的なのですが、なれない人間にとってはとても困るのです。どの道でロータリーを出たらいいのかこれがさっぱり分からない。まだ、4つ辻なら東西南北でいいのですが、これが5つ、6つとなって、標識が地図にも出ていない小さな町、村を指しているのですから、あとは勘に頼るのみです。間違ったらまた引き返せばいいやということで適当に方角を頼りに走りました。時間はかかったけどまあ、なんとかホテルまでたどりつくことができました。
ドーウ゛イルの町へ向かった理由は第2次大戦のノルマンジー上陸作戦が行われたオマハ海岸をどうしてもみたかったからです。
映画、プライベートライアンをみたことがありますか?トムハンクスがアメリカ兵の墓が一面に並ぶ墓地で頭を垂れるシーンがあります。あの場所をこの目で見たかったのです。あの場所はフランス領にも関わらずアメリカ兵が常駐し、星条旗が掲げられ、灯火が24時間灯されています。
子供達は海岸の砂をビニール袋に入れて日本へ持って帰りました。今となっては庭の土の一部になってどこにあるかわからなくなっています。

昨年は秋にケベックへ行きました。東海岸の紅葉とセントローレンス運河が見たかったのです。
ケベックからボストン、ニューヨークとおよそ1500キロをレンタカーで走破しました。嫁さんは横で日本の子供達にメールをしながら、おおー、メールが通じると感心していました。失敗談は数多しです。この時も勝手知ったボストンと思っていたのにどういうわけか高速道路をおりて道を探していたら病院の駐車場に入り込んでしまい、しかたがないので駐車券をとって受付へいきました。受付では黒人の兄ちゃんに、もう出るのか!まだ数分しかたってないじゃないか、クレイジーだとあきれられました。英語でそのわけを話すのも面倒くさいのでサンキューといって駐車券に判を押してもらってきました。

来年はルート66を通ってアメリカ大陸を横断しようとプランを練っています。女房がつきあってくれるかどうかはわかりませんが。