■肌の色はちがっても…
 人種のるつぼといわれるアメリカではヨーロッパ系、アジア系、アフリカ系、中南米系と実に多様な人たちが住んでいる。

 アパートの前にはエルムの大きな木がおい繁った公園があった。
ブランコからシーソー、噴水、砂場、丸太で作った橋、小さな木の家、芝生の庭さらにはバラ園まで整備されていた。小学校は2時には終わるのでここは夕方からは子供たちの天国であった。

芝生の広場ではジュニアのサッカークラブが週2回ほどは練習していた。もちろんわが家の子供たちも”少しは漢字を覚えなさい!”というかみさんの声も聞かずにこの公園で暗くなるまで遊び惚けていた。しかし、午前中はもっと小さな幼児たちのためのゴールデンアワーである。

 ドクトルカメさんがすこし時間に余裕があって朝の10時ごろアパートを出て行こうとするといろいろな国の出身と思われる若いお母さんたちがこの公園で小さな子供たちを遊ばせながら世間話しや情報交換をしているのを発見する。

アメリカでも共稼ぎでない家庭もけっこうあるのを知るのであるが、さらに子供たちの様子を観察していると、これが日本の幼児たちとまったく同じことをして遊んでいるのに気付く。
もちろん親のDNAを反映して色の黒い子から茶色の子、白い子とさまざまだが、幼児にはまったく関係がない。砂をいじったり、水を持ってきて泥遊びをしたり、噴水の周りで水着姿で水を浴びたり歓声をあげたり、さらにはおもちゃの取りあいをして泣いたり泣かせたり、ブランコの順番争いとやることは同じである。

わが家の娘たちも確か日本にいたころは砂団子を作ったり、水遊びが大好きだったはずだ。なるほどこういう幼児の遊びは人類普遍のものであることを知らされる。
人間、出発点は同じなんだ。ただ、やがて民族の衣を着させられてあたかも生まれたときからその民族の一人であったかのように思わさせられるだけなんだ、ということを知る。

■肌の色の差は、医学的には小さなちがい。されど…
 ただ、子供たちで際立って違うのは肌と髪と瞳の色である。
この違いの大きさをみるとほんとうに神様は不公平に人間を作りたもうたものだと思わざるを得ない。とくに、アングロサクソン系の子供たちの透き通る様な肌の色の白さ、ブルーの瞳を持った大きな眼、ゴールドに輝く髪! 
人間離れ、いや、日本人離れをしていてしげしげ、まじまじといつまでも見入ってしまい、変質者と間違われそうである。日本人の女性の眼からみればうらやましさはつのるであろう。

 ドクトルカメさんが医者として改めて思うのは、これらのすべての現象の根本がじつは皮膚細胞の中のたかだか長径2ミクロン前後のメラニン顆粒の集団にあることである。

電子顕微鏡で見ると白人では2ミクロンより小さいメラニン顆粒が皮膚細胞の中で集団をつくって散在し、黒人では倍ほどの大きさの沢山のメラニン顆粒がひとつひとつ孤立して皮膚細胞の中に分布しており、日本人ではこの中間の大きさの顆粒であるというだけの差なのに眼に見える形になるとこれが光の反射吸収の違いから黒からゴールドまでの大きな色の違いを演出していて人間の体の不思議さにあらためて感嘆させられる。

 形成外科医としてドクトルカメさんがつぎに考えたのはこの色を自由にコントロールできないだろうかということだ。そうすればドクトルカメさんは大金持ちだ。ボストンだけでなく世界各地にプールとテニスコートのある豪邸を建て、運転手付きのリムジンに乗れるぞ。
しかし、どうも見果てぬ夢らしい。
メラニン顆粒の大きさ、細胞内の分布パターン、生成および代謝の速度、部位による密度の違い(どの人種でも手のひら、足の裏にはほとんどメラニンがない)はDNAによって厳密にコントロールされており、正常な皮膚のままでこのパターンを変えるのは不可能である。あのマイケルジャクソンだって油断するといつのまにか地肌の黒さがたちどころに顔を出す。

 ただ、われわれ日本人もメラニン顆粒が大きくてよかったことがひとつだけある。それは白人よりはるかに皮膚癌にかかりにくいことだ。メラニン顆粒が紫外線をプロテクトして細胞を守ってくれるのだ。 そのおかげで日本人は必ずしもサングラスを常用しなくてもすむし、皮膚の老化の速度も遅く、皮膚癌もできにくいと考えれば、まあ、多少色が黒くてもよしとするか。