このエッセイは院長がアメリカ時代の思い出をかってに書きためておいたものです。



『アメリカ人の挨拶 その1』5/1更新

■あいさつの仕方
 アメリカ人のあいさつは日本語でするよりは簡単なようにみえるのである。ドクトルカメさんが学校へいっていた頃に習った英語と違って、最近は、初めて会う人にはハウドユドーよりナイスツーミーツユーが一般的なようである。そのあと2回目に会ったときにはハワユーと聞かれることが多いのである。
目下、目上は関係ないから、朝はハウユー、グッドモーニング、ハーイでいける。日本語のように、社長には深々とお辞儀をして”おはようございます”、部下に向かっては、反り返って”やー、おはよう”などという使い分けはなさそうである。ましてや、”もうかりまっか”などという露骨なあいさつはない。

■便利…かもしれない?
 ドクトルカメさんが学校で習った頃のハワユーの答え方ファインであったが、その返事はどうもあきられたのか、ボストンではグードが一般的であった。さらに、一般庶民のおじさんあたりはハワヤー!とのたまり、その返事も、腹の奥からグッドと力強い。時々は、今日はちょっと眠いのでとか、今日はちょっと疲れたなーなどという返事を聞いてもよさそうなのだが、聞かないのである。いつも決まってグードなのである。

正直な話、いつもグードという返事しか返ってこないので、しつっこくハワユーなどと言わなければいいのにと思うのだが、これがいつもいつも聞かれるのである。まだ、英語に慣れないうちは、ハウドユドーの返事がハウドユドーなので、ハワユーと話しかけられると、ハウドユドーと混同して反射的にすぐハワユーと答えてしまう悪い癖がぬけない。
しかし、英語が苦手なものにには実際はこのほうが便利である。
少なくともドクトルカメさんにとっては便利であった。
グッドと答えておいて、アンド,ユー?とか、グッド,ハワユー?とまた聞いて、決まりきったグッドという答えを待たなければならないのは、せっかちで英語が苦手で、潜在的に会話を避けようとする深層心理がはたらく渡米まもないドクトルカメさんにとってはなんともわずらわしい。ハワユーといわれて、そのあと相手にもハワユーと聞き返さないのはたいへん失礼であると何かの本にも書いてあったので、いつも相手に聞き返すように努めてはいる。
しかし、これもまたタイミングが合わないと難しく、相手の言っていることを考えてから、おもむろにぼそぼそとアンドなどと返している時には、すでに相手はハワユー,ソー,ナイスなどといって、通り過ぎてしまっていることも、ままある。

 それにくらべると、ハーイ、はじつに便利である。
ハーイといわれたときは、ハーイとニコニコして通りすぎればいいので、せっかちなドクトルカメさん(われわれ日本人?)にはぴったりである。日本では、職場の廊下などで、顔だけは知っているが、かといって話しかけるほど親しくもない人に会うと、軽い会釈だけでなんとなく目を合わさないようにしてうつむき加減で通り過ごして、あとから何か言葉をかければよかったなーなどと落ち込みがちになるが、こんなときハーイとやればそんな思いをしなくてもすみそうだ。
そこでドクトルカメさんはこれは便利だと思い込み、もっぱら、相手に先んじてハーイというようにして、これを多様していたのである。
ところが、敵もさるもの、ハーイと答えておいて、さらに感情を込めてハーワーユーといってくださる御仁がいる。そこでやむをえず、立ち止まってあいさつをする羽目に陥るのである。こういう場合はさらに話が発展しそうになるので恐怖である。

 そして、これは特にアメリカの中年のおばさんに会ったときに多いのである。一般的にいって、働いているアメリカのおばさんは親切で、愛想がよく、仕事熱心で、ちょっとうろうろしていると、すぐキャナイヘルプユー?と声をかけてくれて、困っているときにはうれしくなってしまうのであるが、朝から何度もグードといっている時には、ハワユーはもういいかげん勘弁してほしいという気分になる。

■こんなときまで…
 ある日、ドクトルカメさんの妻が急に病気になり、日帰りの手術をするはめになった。最近のアメリカでは保険の関係もあり、全身麻酔でも短時間ですむ場合には日帰りの手術が行われるようである。

早朝、病院の待合室に行くと、すでに多くの患者さんとその付き添いの家族が待っていたが、ここでのあいさつも例にもれず、ハワユーであった。なんと、ナースがいまから手術を受けようとしている体調の悪そうな患者に、満面の笑みをたたえてハワユーとかん高い声で聞いているのである。
病気があるから病院に来ているのであって、グッドのはずがないではないか。しかし、患者は青白い顔をしてヘタヘタと笑いながら、力なく”グード”と答えるのであった。
 要するに、いつでもどこでも、アメリカはハワユーとグードでいいのである。


『アメリカのガソリンスタンド』

■アメリカのガソリン、ここが羨ましいのです

 アメリカではガソリンが実に安い。大体、1ガロンが1ドル前後で売られている。ガロンは約3.8リットルなので、1ドル85円として何と1リットル22円!!ドクトルカメさんがボストンに着いたころは1ドル127円ほどだったが、それでも1リットル33円である。インテグラのタンクが45リットルとしても満タン1500円である。

こんな値段だからアメリカ人はガソリンがぶ飲みの大型車に乗っていても維持費が気にならないはずである。おまけに高速道路はほとんど無料ときている。みんな車を使うはずである。

 ちょうどそのころ、アメリカではガソリンの税金を上げる話が出ていた。上げてもたかが5%か10%である。世界一の財政赤字国になっているのでそのくらい当然じゃないかと秘書のマーシーに言うと、彼女はアメリカでは日本のように公共交通機関が発達していないから少しの値上げでも痛いのよとおっしゃる。日本だって今やみんな車を使っているんだが。


■一度やってみたかった…!カメさん満足。

 ガソリンスタンドはセルフとフルサービスの二通りがある。まだアメリカ生活が慣れなかった最初の数回は店員に入れてもらうスタンドを選んでいたが、そのうち、日本にはないセルフのスタンドを経験してみたくなった。

 まず最初に両方のサービスが受けられるアパート近くのガソリンスタンドでおっかなびっくり試してみた。まず、当然ながら車の給油口を開いてキャップを外し(日本では店員がしてくれるので、自分でするのは正直言ってはじめててである)あいている給油機からノズルをはずそうとした。しかし、これがなかなかはずせない、押しても引いてもはずせない。

 だんだん額からは脂汗が出てきた。店の中をみるとなにか中でわめいている。当然のことながら、そんな英語、ドクトルカメさんには分からない。

 そうこうしているうち、店の中からオヤジが出てきて、まず、ガソリンの種類を選ぶボタンを押せという。なるほどレギュラー、ハイオク、有鉛と3種類がある。そして支払い方法を選べという。言われた通りすると、ようやくノズルを本体からはずすことができた。それを車の給油口にさしこみ、こわごわ引き金を引くとシャーという音がして勢いよくガソリンが入っていく。
一度、日本でもこれをしてみたかったんだ、と満足。

 給油機の注入量を示すメーターは小気味よく回転してガロンを表示する。そのうち、カチッと音がしてノズルの引き金に力が入らなくなった。やれやれなんとかセルフサービスの仕方をクリアできたぞという安心感が広がった。

ところがところがアメリカという国は単純ではないのである。1回成功してこれで全部いけると思うのが大間違い。やがてスタンドによってやり方がそれぞれまったく違うことを思い知らされるのである。

 あるところでは最初に金を払えという。そんなことをいったってどれだけ給油できるか分からないものにどうやって金を払えというんだ。
「オーケー、オーケー、じゃあ10ドル分だけ入れさせてくれ。」

最初にクレジットカードを出せというところ、給油機にクレジットカードを認識させればいいところ、店の中にまで行ってわざわざ給油機の番号をいわないとだめなところとそれは千差万別でそれぞれにあたらしい経験をさせられて困惑させられる。


■ガロンの落とし穴

 失敗もある。メーターの表示を決まりのいい数字にするために日本のガソリンスタンドがやるように満タンになってもすこしずつ入れていったところ、突然、ごぼごぼとガソリンが給油口からあふれだし、青くなってしまったことがある。

後から気が付いたのだがガロン表示だと決まりのいい数字にするためには結構、たくさん入れないとかたがつかないのだ。
 このときは手やズボンにもガソリンがついてあせってしまった。

これで思い出したのはある全身やけどの患者のことだった。
医者になったばかりのころ、大学病院へ重傷熱傷の患者が転送されてきた。 この人はでストーブに注油した時、灯油が服についたのを気に留めず車に乗り込み密閉した車内で暖気運転をしていたのだった。そして、さて一服やろうとタバコに火をつけたところ、服についた灯油が車内で気化してちょうどいい濃度になっていたため引火爆発し、全身やけどになってしまったのであった。
気管挿管してあるためしゃべれず、手足も真っ黒に炭火して動かせずで悲惨な結末となってしまった。悔やんでも悔やみきれないであろう。

 ドクトルカメさんはアメリカでふとこの患者のことを思い出し、しばらく日向ぼっこをしてガソリンの臭いがしなくなってから慎重に車に乗り込んだのであった。



『紅毛碧眼白肌人』

■顔の違いはどこからくる?

 アメリカへ行って何より驚くことは彼我の顔貌の差である。われわれ東洋人は何と平ベったい顔にぺしゃんこの鼻がくっついているのかと驚嘆するのである。はじめて彼らを見たかつての日本人はさぞかしびっくりしたことと思われる。
 そこで、ドクトルカメさんは商売柄、どこが解剖学的に違っているのか、子細に観察したのである。


■大いなる違い

まず、そもそも顔の形がそのものが、紅毛碧眼白肌人は上から見ると
図1( a )のように前後が長いのに対し、われわれは( b )のように左右に長いのである。また、正面から見ても( c )( d )のようにその違いが明らかである。


 さらに目を見てみると紅毛碧眼白肌人はその頭の解剖学的特徴から目を収容している眼窩が奥深いため、目の玉がひっこんでいるのである。
さらに瞼の脂肪が少ないために正面から見ると眉毛と目がくっついているようにみえるのである。
そして、瞼を上げる働きをする眼瞼挙筋がスムーズに動き、瞼は斜め上後方へまつげが眉毛の下の皮膚にくっつくまで上がるのである。
このため、目がでっかくみえるのである。
さらにマスカラとアイシャドウを施せばこれはもう顔の半分は目が占めているんじゃないかと思えるのも無理はない。
 
 かのイングリッドバーグマンなどは、閉じた瞼がゆっくり大きく開ききるのに数秒かかるような気がするのは何もドクトルカメさんだけであるまい。


■実はドクトルカメさんも…

 そこで、わが瞼はどうなっているのかとドクトルカメさんはさっそくアパートへ帰って鏡とにらめっこして検分に及んだのであった。

 その結果、わが瞼はなんと動きに乏しいのかということに気がついたのであった。
さらに眉毛の上の皮膚を両手で押さえて額の筋肉の影響をなくして目を開けようとすると瞼は動こうとしないではないか。

何のことはない、ドクトルカメさんの眼瞼挙筋の働きはまったくなく、顔の筋肉で眉毛をつり上げて目を開けていたのであった。
これでわが目がいつも眠そうな表情をしているのが理解できた。

 日頃、診療をしていて眼瞼下垂の患者がくると、「いいかい、あんたの目が下がっているのは眼瞼挙筋という筋肉の動きが悪いために瞼が上がらないためで、いわばパンツのゴムの紐がゆるいようなもんだ」と絵を描きながらながらいい気になって患者に説明していたドクトルカメさんも実は同じ穴のむじなだったのでる。ただ、両目とも同じように下がっていたので気がつかなかっただけであった。


■東洋鼻

 皮膚もひっぱられて広げられるため、目玉もよけいでっかくみえるようになるのである。あの鼻ではきっと横の方は視野が妨げられてさぞかし見にくかろうとよけいな心配をしたくなるのであるが、これにひきかえわれわれ東洋人の鼻は目と目を結んだ線よりもさらに下の方からはじまるため、当然ながら低く小さく、さらに目と目の間が広くなって顔の平べったさが強調されるのである。

 さらに目下へと転じると、碧眼白肌紅毛人は鼻尖部がツンとしているため図2( a )のように上唇と鼻のなす角度が鈍角になる。また、鼻の穴を下からのぞいてみると、( b )のように歴然とした差があるのである。


あなたも心当たりはないかい。
そう、あなたの鼻のことをいっているのである。