このエッセイは院長がアメリカ時代の思い出をかってに書きためておいたものです。
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| 『ボストン美術館』 ■世界に誇るボストン美術館、初体験 ドクトルカメさんは子供のころから絵が好きで、通知表の図工の欄には中学までいつも5がついていたのが自慢だった。 大学を卒業してからはあまり、絵筆を握ることはなかったが、数年前から病院に美術部をつくり、仲間と一緒に絵を描くようになった。そこで,ボストンに行く話があったとき、これはボストン美術館をゆっくり見ることができるぞと楽しみにしていた。 ボストンに着いてすこしは落ち着きも取り戻せた2月の終りの週末に、行って見ようと決心した。なんせ、アメリカは危険である!というのが行く前から頭にしみついているため、知らないところへ行くのには決心がいるのである。 このころはまだドクトルカメさんは車を持たず、地下鉄を利用するしかなかった。 ガバメントセンター駅からグリーンラインに乗って15分ほどすると地下鉄はやがて地上に出る。そしてそこから5分ほどいったミュージアムの駅で降りると何のことはない、すぐ目の前にギリシャ神殿風のボストン美術館を見つけることができた。地下鉄の料金は85セントである。 ボストン美術館にはこれまで多くのコレクションや寄金の寄贈がなされてきて、現在、世界でも有数の美術館となっているが、中でもわれわれ日本人にとって特筆すべきは日本の美術品の収蔵が多いことで、実際見ると改めてその素晴しさに感じ入るのである。 入り口で7ドルのチケットを買ってはいり、いかにも人のよさそうなおばさんのいるブースで日本語の案内のパンフをもらい、すぐ右手のドアを開けて中へ進んで行くとそこが日本の美術品が飾ってある部屋である。ここでは、いつ行っても日本語のささやきが聞こえてきて、わかってはいるけどその度に思わずおやッと振り向かされてしまうのである。 ここへ行けば必ずだれか日本人に会うことができるとドクトルカメさんは確信してしまった。 ■ボストン美術館で日本の絵画に会う この部屋で、まず見ることができるのは数十点の浮世絵である。 本家本元の日本ではなかなかお目にかからないような広重や北斎、写楽といった作者の作品が色鮮やかで、ここでの保存状態のよさをうかがうことができる。 ここには数万点の浮世絵があるといわれているが、さらに平治物語絵巻や狩野永得、尾形光琳らの屏風絵まである。また、仏教画や水墨画、刀剣、鎧、兜、着物など展示してある数々の品々に感嘆させられてしまうのである。 そして、明治の時代に、東洋の小さな島国にすぎない日本の美術品に着目してアメリカに持ち帰ったモース、フェノロサらの鑑識眼の高さに感心すると同時に、もし日本に残っていれば先の戦争でかなりが焼けてしまったであろうことを考えると、ナショナリズムを離れてボストンに保存されていてほんとによかったなーとしみじみと考えさせられるのである。 ボストン美術館ではもちろん、印象派やゴッホらのヨーロッパ絵画も充実している。 ドクトルカメさんが好きになった絵のひとつは、モネの奥さんが和服を着て扇子を持ちポーズを取ったところが描いてある“日本衣装の女”であった。だいたい、畳1畳大の大作で迫力がある。 この絵は冬頃はみることができなかったが、夏過ぎから展示されるようになり、ドクトルカメさんは何回となく見にいった。いつも気に入っていた。これに、ゴッホの数点がみられれば満足であった。 しかし、正直言って、はじめて訪れる美術館というものは何がどこにあるかわからないし、結構、目移りがして疲れるものであるとドクトルカメさんは思うのである。 足は棒になるし、肩も凝ってくる。ところが、3回、4回と続けて通うと目もなれてきて気に入ったものだけを見ることができるようになり、気持ちに余裕も出てくる。 便利なことにここでは50ドルを寄付すると1年間有効のファミリーパスポートをくれる。買うのではなく寄付するとくれるのである。そこで零下15度まで下がるボストンの寒い冬にはここは時間つぶしにもってこいの場所となっていた。 ところが、そのうち困ったことに気がついた。 油絵それも宗教画をゆっくり長い時間かけて見て行くと、だんだん油ものを食べ過ぎた時のようにゲップと胸やけがしてくるのである。とくにキリスト教的素養のないドクトルカメさんにとっては、多くの宗教画は素晴しいことは素晴しいが、その反面、このような気分にもさせられるのであった。 そんなとき、日本の絵、とくに水墨画に出会うとまことにホっとさせられる。 ちょうど、ステーキを朝昼晩、3日3晩食べさせられて口も舌も油っぽく、横めしに閉口しているときにお茶づけと漬物が出てきてさらさらと口に運んだ時のようななんともいえない安らぎ感、幸福感を抱くのであった。 やっぱり、日本人の生まれ、育ちというのはどれだけ飾っても隠せないものだと悟ってしまったのであった。 |
| 『クオーターとパーキングメーター』 ■クオーターの基本的な使い方 アメリカではハワユーのつぎに大切なのはクオーターである。 日本円にして高々20円ばかしの小銭が必需品なのである。日本でいえばこれは間違いなく100円玉の役割である。電話、コインランドリー、コーラやたばこの自動販売機そして地下鉄、高速道路などには必携である。 コインランドリーでは洗濯機、乾燥機とクオーターを10枚ほど用意しておかなければならない。高速道路の料金所ではクオーターを投げ入れるところがあり、持ち合わせがないと冷や汗をかかなければならない。 地下鉄も駅員のいる駅では1ドル札や10ドル札も使えるが、無人の駅から乗った場合、決して運転手は両替やお釣をくれないから、車内でチェンジ、チェンジといってだれか親切な人に両替してもらわなければならない。 ■クオーターの重要な使い方 そして、もうひとつ、クオーターが必要なのはパーキングメーターである。 ボストンの市街ではパーキングメーターのあるところでは路上駐車ができる。 クオーター1枚で場所にもよるが最低20分は止められる。1ドルで80分止められるのでクオーターはいつもポケットにしのばせておかなければならない。 たまたま車を入れた場所のメーターにまだ駐車時間が残っていたりすると思わず顔がほころんできてにんまりとするのである。高々、50円ぐらいのことなのに、その日一日中、非常にいいことがあったような気分になってくるから不思議である。 ところが世の中はそうそうはうまくいかないものである。 たまたま、繁華街の絶好の場所があいていて車を入れたはいいが、あいにくクオーターの持ち合わせがなく、ズボンを探しても車のコイン入れを探しても、座席の下を探しても一個も見つからず、泣く泣く他車にその場を譲らなければならない目にあったこともあった。 もうそろそろ銀行でクオーターを両替しておかないといけないなーとは思っていたが、後の祭である。 パーキングメーターの違反ぐらいといって甘くみると大変である。なぜなら交通違反切符をきるおばさんがどこからともなく現われて、時間切れになっている車を見つけてはまるで鬼の首をとったように浮き浮きと情け容赦なく違反切符を車のフロントガラスのワイパーにはさんでいくからである。 どうも噂によれば彼女らは歩合制で、切符を切った数に応じて給料が貰えるらしい。そうでなければあのように朝から夜まで熱心に職務に励むはずがない。そしてその執念足るや、恐るべきものである。 たとえば、ドクトルカメさんがいた年の冬は何年ぶりかの大雪で、坂の多いビーコンヒルの町も雪に埋もれていた。ここでは路上駐車はアパートの住民に限られていたが、そこで見慣れない車を見つけたおばさんは降り積もった車の雪を払い除けて、その車が駐車の資格を持っていないのを確認すると、満足したように違反切符を切って行くのであった。 このくらい熱心なおばさんがいるのだから車を止めたときは時間が気になっておちおち買い物もしていられない。 あるとき、ドクトルカメさんはアパートから荷物を運んできた。そして、研究室の前に車を止めたかったが、周りのスペースは全部、車が止まっていてあきそうにもなかった。仕方がないので、道路から少し引っ込んだ病院の敷地に車を止めておいたところ、1時間ばかりあとになって帰って見るとちゃんとワイパーに紙がはさんであった。こんな道路でもないところに車をとめているのに、どうして違反切符を切られなければいけないんだろうと思うと腹が立ってきて、無視してやろうとも思ったが、これが原因でアメリカ再入国を断わられるような事態になっても困ると思い、しかたなく州政府宛に40ドルの小切手を郵送した。 切符には事細かに駐車違反となる事例がならべてあった。 車椅子の人専用のところに止めたり、消火栓の近くに止めたりするとことのほか高い罰金を取られることになっている。車を止めようとして場所を探しているとき、たまたま空いているスペースを見つけて、やったぜ、ベイビーと思ってよく見ると消火栓があって、がっかりすることもしばしばである。 また、車椅子の人専用の駐車スペースは公共の場所やスーパーなどでも最も便利な場所に確保してあり、違反する人はほとんどない。 なぜなら、それはほとんどの時間空いていることからわかる。 |
| 『タングルウッドの音楽会』 ■いざ、タングルウッドへ ボストンでもうひとつ有名なのは、小澤征爾氏率いるボストン交響楽団である。 地下鉄のガバメントセンター駅からグリーンラインに乗ってシンフォニー駅で降り地上へ出るとすぐシンフォニーホールである。 小澤征爾氏はボストン交響楽団のタクトを振って10数年、いまや世界で最も名前を知られている日本人のひとりである。しかし、年間の指定席となっているシートも多く、シンフォニーホールでの家族そろってのチケットは残念ながらなかなか手に入らない。 一度ぐらいはと思っていたところ、夏の間はボストン響はボストンの西200マイルにあるタングルウッドに移って演奏会を開くということを聞いた。芝生席であれば当日でもチケットが手にはいるというのでドクトルカメさんも8月のある土曜日、4年落ちの中古車、アキュラインテグラに家族とビール、オレンジジュース、水、握り飯、串かつ、サンドイッチなどの食料とビニールの敷物をのせてだだっ広いハイウエイ、マサチューセッツターンパイクを西に向かった。 約3時間の道のりである。 トンネルもなく周りの景色も行けども行けども変わらないアメリカのハイウエイは単調で眠くなるが、女房殿はアメリカのハイウエイで運転なんてとんでもない!とおっしゃるので、ドクトルカメさんはブラックガムを噛みながら睡魔と闘うのである。 しかし、ときどき道路に穴があいていたり、マーモットという動物の死骸がころがっていたりしてブレインを刺激してくれる。 ■芝生でビール、のぜいたくな音楽会 森の中に緑の芝生に囲まれた白い家が散在するタングルウッドの町はいつもはさぞかし閑静で美しいと思われるが、さすがに週末の演奏会のために車で込み合っていた。 しかし、込み合っているといってもまあ日本の混雑とはほど遠く、約15分ほどの待ち時間で野外音楽堂の横の芝生の駐車場に入ることができた。 みんな、家族連れで、思い思いの食べ物やイス、敷物、座いすをもってきていた。男も女もほとんど短パン姿である。 演奏はもちろん建物の中であったが、開放式なのでまわりの安い芝生席でも楽しめるというわけである。 ビールやワインを飲んで芝生に寝転がってゆっくり演奏会の始まるのを待つのである。 何時から始まるか確かめなかったのでドクトルカメさんは酔いも手伝ってひと眠りしてしまっていたが、やがてスピーカーを通してオーケストラの響きが聞こえてきて目が覚めた。 ビールを飲み、寝転びながら一流のオーケストラの演奏を聴けるというのもぜいたくな話だ。 しかし、そのうち、もっと近くで演奏を聴きたいという衝動にかられ、音楽堂のほうへ行ってみた。周りも聴衆が取り囲んでいたがステージの横の方はひとが少なく、ドクトルカメさんもすぐ近くで小沢征爾氏の姿を見ることができた。もっとも、同氏は客席の日本人のほうには振り向かないといううわさがあるが... イス席は満員であったがその多くが団体客のようにみえた。(教訓その1:立ち見を我慢するなら建物のそばまで行って安いお金でじかにボストン響の演奏を聴くことができる)。 ■行きはよいよい、帰りは… 帰りはボストンの街の明かりを目指してまたひた走りである。 この時期のボストンは夜の8時ごろまで明るく、過ごしやすいが、10時近くになるとさすがに真っ暗である。それにアメリカのハイウエイは照明灯が少なく、道路脇に民家もビルもないので暗さが際だつ。家があるのはインターチェンジを降りてしばらく行った町の中しかない。 そんなときに困るのは車の故障やパンクである。こんなご時世である。誰も夜中に手を挙げていても止まってくれるはずがない。頼るのは日本のJAFにあたるAAAしかない。 真っ暗闇の中をどこにあるかわからない電話まで歩いていかなければならないと思うとぞーっとする。ましてや、冬だったら死活ものだ。 幸い、ドクトルカメさんは中古車を買ったにも関わらず滞在中一度も車の故障を経験せずに済んだ。 もうひとつ困るのはトイレである。男はまだ何とかなるがわが家は1女房と2人娘である。 娘が途中でおしっこをしたいと言い出した。そりゃそうだ、たくさんジュースを飲んだもんな。それもトイレでないと困るとのたまわる。道路脇ではダメだそうである。 待て待て、いまパーキングがあったらはいるからとなだめてやっとたどり着いたパーキングのトイレはなんと鍵がかかって入れない! なんたることだ。どうもあとから聞いたところでは午後4時以降はトイレには鍵がかかってはいれなくするのだそうだ。恐らく、危険防止のためだと思われる。 あのマイケルジョーダンの父親が襲われたのも確かハイウエイのパーキングだったはずだ。しかたがない、こんなときに目指すのはひたすらマクドナルドのあの赤地に黄色いMの看板である。マクドナルドならかならずトイレがあって、ハンバーガーを買わなくても使わせてくれるのである。 もう我慢も限界というとき、明るく輝くM印のあの看板を見つけたときはまさに地獄に仏であった。用を足した後はコーヒーの一杯でも飲んであげようかという気分にさせられた(教訓その2:トイレを見つけたらいつも膀胱を空にするよう努めること)。 再び、ハイウエイを東に走るうちにやがて山の端に見慣れたボストンの高層ビルの一角がみえてきてホッとするドクトルカメさんであった。 |