このエッセイは院長がアメリカ時代の思い出をかってに書きためておいたものです。



『アメリカの家』

■合理的番地ふりわけのアメリカと、不合理きわまりない日本
 ボストンの町のどんな道路や小路でもかならずなんとかストリートとかなんとかロードとか名前がついています。ついてないのは埋立地とか開発中で人家がない場合だけでよくあれだけいろいろつける名前があるなと感心させられます(たまには同じ名前があるので戸惑うこともあります)。

さらに家や建物には順番に番号がついていて、大抵玄関の上の方とかドアのガラスに数字がふってあるので家探しはさほど難しくありません。
 日本の場合だと家や建物の場所を教えるのに困難を極めます。
00デパートから3本目の信号を左に曲がり、しばらく行くとシェルのガソリンスタンドがあるからそこを右に曲がり、100メートル程行くと薬屋さんがあるからさらにそこを右に曲がってつぎの交差点を左に曲がると黄色いマックの看板が見えてくるからさらにその道路を1キロ程進んで... 何となくわかったような気分でうろ覚えで出かけたくなりますが、ドクトルカメさんの場合、ちゃんとメモに書いて道順をおさえておかないと、右だったか左だったかすぐ忘れてしまいます。一つ曲がり損ねたら大変です。
そこでFaxで地図を送ってくれと頼むのがてっとり早くなります。

アメリカの場合だと住所さえわかれば地図をみて目的の道路を探し、建物の番号を順番に押さえていけばなんとか目 的地までたどり着くことができます。それは日本の町と違ってたいへん合理的にみえるのです。

 でもふと、遺産分けして土地を分割したときあの続き番号はどうなるんだろうと考えこみました。数字を割り込ませるわけにはいかないから 1996-A, Bとでもするんだろうか。それともそんな表示はとんとお目にかからないからひょっとして分割するのは"お役所の掟"で禁じられているのだろうか。


■中古住宅ビジネスがさかんなアメリカと、なぜかそうでない日本
 それにしても町を歩いていて、あるいは自動車を郊外に向かって走らせていても新しく家を建てている光景にほとんどお目にかかったことがないのに気がつきました。工事中のところにぶつかってもたいてい改築中のものです。
テレビでは不動産屋が提供している中古住宅の番組をしょっちゅうやっていました。それをみているとボストン郊外の広大な土地つき中古住宅が20万ドル台で売られていてため息がでます。みんな新しく家を建てないで中古の家を渡り歩いているんだろうかと思いました。

 バックベイやビーコンヒルといった街では100年以上も昔の煉瓦造りの建物の街並みがいまだに残っていて有名人も住んでいます。また、アパートなどにもなっていて多くの人が住んでいますし、売買もされているのは驚きです。

ある時、MGHの病院長がバックベイにある煉瓦造りの自宅で日本人留学生とワイフだけを招いてパーテイーを開いてくれました。天井が高く内装もシックで、確かにこれなら何年経っていても家の価値があるなと感じられました。
ドクトルカメさんはビーコンヒルの一画に一時住んでいましたが空調、水回りがしっかりしているので内装さえ手をいれればけっこう快適に住めるということを実感しました。
研究所にいたナンシーは古い農家を手にいれて今度引っ越すんだといって喜んでいましたが、アメリカ人はいったいに古いものが好きで日本人は新しいものが好きなんでしょうか。国の歴史の短さのせいで古い建物を大切にしているんでしょうか。

 前にふれたKSさんの家も中古住宅に手をいれたということでしたが、十分価値のあるものでした。ドクトルカメさんはいま、家を建てていますが、しかし、中古住宅を買って、それを改装してなどということはつゆほども考えませんでした。
それは買いたいような中古住宅がないのか、それとも日本の家は安普請が原因で10年も経つとぼろぼろになって魅力がなくなってしまうからなのでしょうか。それとも、改装するのにも新築するぐらいお金がかかるから新築したほうがずーと得だからなのでしょうか。




『人種のるつぼの子供たち』


■肌の色はちがっても…

 人種のるつぼといわれるアメリカではヨーロッパ系、アジア系、アフリカ系、中南米系と実に多様な人たちが住んでいる。

 アパートの前にはエルムの大きな木がおい繁った公園があった。
ブランコからシーソー、噴水、砂場、丸太で作った橋、小さな木の家、芝生の庭さらにはバラ園まで整備されていた。小学校は2時には終わるのでここは夕方からは子供たちの天国であった。

芝生の広場ではジュニアのサッカークラブが週2回ほどは練習していた。もちろんわが家の子供たちも”少しは漢字を覚えなさい!”というかみさんの声も聞かずにこの公園で暗くなるまで遊び惚けていた。しかし、午前中はもっと小さな幼児たちのためのゴールデンアワーである。

 ドクトルカメさんがすこし時間に余裕があって朝の10時ごろアパートを出て行こうとするといろいろな国の出身と思われる若いお母さんたちがこの公園で小さな子供たちを遊ばせながら世間話しや情報交換をしているのを発見する。

アメリカでも共稼ぎでない家庭もけっこうあるのを知るのであるが、さらに子供たちの様子を観察していると、これが日本の幼児たちとまったく同じことをして遊んでいるのに気付く。
もちろん親のDNAを反映して色の黒い子から茶色の子、白い子とさまざまだが、幼児にはまったく関係がない。砂をいじったり、水を持ってきて泥遊びをしたり、噴水の周りで水着姿で水を浴びたり歓声をあげたり、さらにはおもちゃの取りあいをして泣いたり泣かせたり、ブランコの順番争いとやることは同じである。

わが家の娘たちも確か日本にいたころは砂団子を作ったり、水遊びが大好きだったはずだ。なるほどこういう幼児の遊びは人類普遍のものであることを知らされる。
人間、出発点は同じなんだ。ただ、やがて民族の衣を着させられてあたかも生まれたときからその民族の一人であったかのように思わさせられるだけなんだ、ということを知る。

■肌の色の差は、医学的には小さなちがい。されど…
 ただ、子供たちで際立って違うのは肌と髪と瞳の色である。
この違いの大きさをみるとほんとうに神様は不公平に人間を作りたもうたものだと思わざるを得ない。とくに、アングロサクソン系の子供たちの透き通る様な肌の色の白さ、ブルーの瞳を持った大きな眼、ゴールドに輝く髪! 
人間離れ、いや、日本人離れをしていてしげしげ、まじまじといつまでも見入ってしまい、変質者と間違われそうである。日本人の女性の眼からみればうらやましさはつのるであろう。

 ドクトルカメさんが医者として改めて思うのは、これらのすべての現象の根本がじつは皮膚細胞の中のたかだか長径2ミクロン前後のメラニン顆粒の集団にあることである。

電子顕微鏡で見ると白人では2ミクロンより小さいメラニン顆粒が皮膚細胞の中で集団をつくって散在し、黒人では倍ほどの大きさの沢山のメラニン顆粒がひとつひとつ孤立して皮膚細胞の中に分布しており、日本人ではこの中間の大きさの顆粒であるというだけの差なのに眼に見える形になるとこれが光の反射吸収の違いから黒からゴールドまでの大きな色の違いを演出していて人間の体の不思議さにあらためて感嘆させられる。

 形成外科医としてドクトルカメさんがつぎに考えたのはこの色を自由にコントロールできないだろうかということだ。そうすればドクトルカメさんは大金持ちだ。ボストンだけでなく世界各地にプールとテニスコートのある豪邸を建て、運転手付きのリムジンに乗れるぞ。
しかし、どうも見果てぬ夢らしい。
メラニン顆粒の大きさ、細胞内の分布パターン、生成および代謝の速度、部位による密度の違い(どの人種でも手のひら、足の裏にはほとんどメラニンがない)はDNAによって厳密にコントロールされており、正常な皮膚のままでこのパターンを変えるのは不可能である。あのマイケルジャクソンだって油断するといつのまにか地肌の黒さがたちどころに顔を出す。

 ただ、われわれ日本人もメラニン顆粒が大きくてよかったことがひとつだけある。それは白人よりはるかに皮膚癌にかかりにくいことだ。メラニン顆粒が紫外線をプロテクトして細胞を守ってくれるのだ。 そのおかげで日本人は必ずしもサングラスを常用しなくてもすむし、皮膚の老化の速度も遅く、皮膚癌もできにくいと考えれば、まあ、多少色が黒くてもよしとするか。




『砺 波 の 家』


■まずは、わが町の紹介から

 富山県砺波市というところがドクトルカメさんの生息場所である。毎年5月の連休中にチューリップフェアーなる一大ページェントを繰り広げるので有名?なところである。
 賢明な方は、毎年、日本人が観光地にあふれだすゴールデンウイークのころのNHKの夜のニュースで”砺波市のチューリップフェアーには○○万人が訪れました”とアナウンサーが話し、公園一面がチューリップで埋め尽くされたシーンがブラウン管に写しだされるのを頭の片隅にとどめておられる方があるやもしれないが、そうでないかたはぜひ、この際、砺波市という何と読んだらいいかわからないまちが北陸の片田舎にあるのを覚えていただけたらありがたいのだが。

 じつはこのまちにはチューリップのほかにもうひとつの自慢がある。
それは家の広さである。自治省の統計によれば日本で持ち家の平均的面積のもっとも広いのが富山県で、それは145m2らしいが、その中でもこの砺波市はもっとも広いのである。

メインストリートの国道156号線(事故が多いので別名”いちころ国道”ともいう)を走っているとびっくりするような立派で大きな民家が何軒も建っている。

都会から来た人達はびっくり仰天して、あれはお寺ですかと聞くそうである。いいえ、それは決してお寺などではありません。ここの人たちの間では8畳以上の2間続きの畳の部屋を持つことが生きがいなのです。何のためかといえばたまにある会合、法事や見栄のためなのです。しかもそれらは南向きのもっともよい条件の場所が選ばれる。
 そのくせ、普段、家族の生活の中心となる居間は狭い北向きにつくられることがままある。つい先日も、病院の看護婦さんが家を建てたがその坪数を聞いてドクトルカメさんはびっくりした。なんと建坪は100坪を超えるのである。とても東京の人達には信じられないでしょう。

 もう一つの特徴は散居村である。家の周囲には杉を中心とした屋敷森があり、さらにその周囲に水田が広がっている。4月になって庭の雪も融け水田に庄川の水が引き入れられると春の陽光のもとで家々は水の中に浮かびあがり、それはそれは美しい季節が来る。空は晴れ上がり、風はなごやかでまさに春が実感できる。

 散居村はじつは冬も絶品である。吹雪もおさまり家も庭木も真っ白になってきらきらと陽の光が輝く朝。そして、月の光のもとで一面の雪が屋敷森と家々をまさに水墨画の世界の如く黒々と浮かびあがらせる夜。冬の北陸自動車道を走ると天候運に恵まれれば自動車の窓からここに日本のもっとも美しい風景のひとつをみることができる。


■どっちが寒いか、砺波の冬とボストンの冬
 しかし、今回ドクトルカメさんがいいたかったのは何も砺波の自慢話ではない。
 冬の季節の家の中の暖かさについてである。たしかに砺波の家は大きいし、夏は屋敷森が人工のクーラーとなって過ごしやすい。しかし、問題は雪が積もる冬である。

1日中雪が降ることもある季節には気温は0度以下のままということも珍しくない砺波で、木と紙と泥で作ってある日本の伝統家屋はすき間風が入り悲しいくらい寒い。どうして冬の暖房に気をつかわないで日本人は暮らしてきたのであろうか。

ボストンは砺波と問題にならないくらい寒かった。零下20度の世界である。しかし、アパートの中は全館暖房でTシャツ一枚で過ごせたのである。

アメリカ映画にはよく街中のマンホールの蓋から蒸気が洩れ出てくるシーンがある。あのゴッドファーザーやワンスアポンアタイムインアメリカなどでお目にかかったことはございませんか。あれはどうもスチーム暖房につかう蒸気の調節弁からのものらしい。
ブルックラインのアパートの家賃1350ドルにはこのスチーム暖房の費用と台所、お風呂のお湯の代金も含まれていて部屋の中はどこも暖かく暖房代や暖房機に気をつかわないですんだ。どこのアパート、家へいっても暖かく、寒いのは外だけだった。

 反対に日本の家屋は暖房のことを考えてない場合が多い。ことに大きな家をもつ砺波では暖かいのはストーブを入れた居間だけで廊下、洗面所、2階はぞーとする寒さの家が多い。例に違わず高齢者が多くなってきた砺波でもお年寄りはたくさん着込んでこたつにもぐり寒い冬が通りすぎるのを今か今かとじっと待っている。 

 家は小さくてもいいから冬暖かい家がいいなーとドクトルカメさんは思うのである。
(砺波は”となみ”と読みます)