このエッセイは院長がアメリカ時代の思い出をかってに書きためておいたものです。



『金髪美人』

■ボストンの冬
 ボストンの冬は非常に寒い。
雪は多くはないが一度降った雪はなかなか溶けず、いつまでも道路の片隅にこびりついている。チャールズ川も4月まで凍り付いている。

 しかし、晴天の日も少なくなく、そんな日は研究所のビルの窓から戸外を見ると太陽の陽がさんさんとふりそそいでいて、うららかな冬の日だなーと錯覚しがちになる。
ところが、戸外へ出てものの15分も歩くと、つま先から足首、さらに膝にかけて凍てつくような寒さが襲ってくる。
上着はスキーウエアーを重宝していたが、耳あてに皮の手袋も必需品だ。そんな寒さの中でも多くのボストニアンは平気で歩いたり、公園の池でスケートをしたりしている。ヤツラの体は構造が違うんじゃないかと思えてくるのである。

ドクトルカメさんも渡米1ヶ月経って車を手に入れて乗りまわすようになったが、そうなるとこの寒さを感じずにすみ、つくづく車のありがたみがわかるようになる。もう車を手放せなくなるのである。

■金髪美人
 地下鉄乗り場で電車を待ちながら人々の後ろ姿を観察していると、殆どの人が足首まで届くかと思われる長いコートに身を包んでいるのに気付く。頭だけ出ていてあとは足までコートにすっぽり被われている。ところがコートの下はミニスカートという場合も少なくなく、コートの裾がひるがえったとき、真っ白な足がのぞくとじつに色っぽいのである。ドキッとするのである。
寒く長い冬でも楽しみはあるものだと変に納得したりするうち、ドクトルカメさんは彼女らの首から下の長さが非常に長いのに気付く。

 8等身どころか背の高い人は9等身、10等身にもなろうかというバランスで、われわれ日本人とのスタイルの違いがいやでも目に写る。さらに、金髪の髪と黒いコートの取り合わせは実に鮮やかである。ときどきは肌の色が茶色っぽかったり、眉毛が黒かったりするのに髪だけは鮮やかなブロンドという金髪の女性もいるのは奇妙だが。

 わが女房殿は、もし今度生まれ変われるものならば、いや今度は必ず、必ず白人の女性になって生まれてきたいと嫉妬するのも無理もないと思われるのである。


■やはり日本女性こそ…
 混んでいる車内で同じくらいの背の高さの女性とお尻が触れたりするとその位置の違いにドクトルカメさんは愕然と、そして意気消沈するのである。そんなときは、まあ俺だって武田鉄也さんより短いということはないだろうと妙に自分を納得させるのである。まあ、男も40を過ぎれば自分の足の短さも気にならなくなる。
ところが女性はそうはいかないかもしれない。女性はいつまでも容姿が気になるものである。しかし、神も見捨てたものではない。日本人女性にもしとやかで、心やさしく、気配りが上手という長所をお恵みになったのである(もちろん、すべての女性に対してではないが)。

電車内で紙コップのコーヒーをすすったり、朝の10時にオフィスの机の上で堂々と朝食のパンやクッキーを頬ばり、来客があってもまったく動じず、ハーイと悪びれずあいさつをする、ようなことはなさらない。ましてやリンゴをまるかじりしながら公道を濶歩するようなまねは断じてなさらないのである。

 あるとき、ドクトルカメさんは町を歩いていてなにげなく銀行のキャッシュコーナーの方を見やると、そこで舌をベロッとだして封筒の糊付けをしている女性を見てびっくりしてしまった。
こそッと人に見えないようにやるのならともかく、あたり構わず大きな口を開けて舌を出し、念密に封筒の糊ずけ部を濡らす姿をみると、いかにブロンドの美人といえども百年の恋もいっぺんに冷めてしまいそうである。

それ以来,注意して見てみると、あちこちで同じような光景にでくわすのである。ドクトルカメさんももちろん、同じようにしたこともあるが、どうもその後の舌に残る味の悪さがなんとも言えず、最近では水がないときは指に唾を付けて糊づけ部を濡らすようにしているが、アメリカでは糊があまい砂糖か、ハンバーガーの味つけがしてあるのかもしれない。

どうもこの国では封筒というものは舌をベロッと出して濡らして糊ずけするものだと相場が決まっているらしい。




『ミネラルウオーター』

■ボストンの人々がミネラルウォーターを買うわけ

 去年の夏は日本は大変な水不足であった。幸いなことにドクトルカメさんの住んでいる富山県は一部をのぞいていつもの年のように水はふんだんに使えた。ありがたいことであった。つい最近の阪神大震災でもまずこまったのは水が使えないということであった。

 ボストンでは水はふんだんに使え、かつ、きれいそうにみえたのでドクトルカメさんも日本の習慣で水道の水をそのまま飲んでいたが、渡米1月ほどしたある日、ボストングローブ紙を見ていて、ボストンのみならずマサチューセッツ州の水道水の鉛の含有量の分析結果が記事になっていた。

びっくりして知人に聞いたところ、そのことはみんな知っていて水道の水はだれも飲用にはしないという話であった。何のことはない、ドクトルカメさんだけ知らないのであった。300年前に作った水道管は鉛管であったのだ.大人はまだしも子供にはいかんせん都合が悪い。それでみんなミネラルウオーターを使うのである。

■日本食は水がないとやっていけない。
 スーパーマーケットへ行って3.6リットル入りのものを買ってくることになった。90円ほどである。
 ここで発見したことは日本食をつくろうとするとやたら滅多ら水を使うということであった。

 まず米を洗う、炊く、野菜を湯がく、煮るから湯豆腐にいたるまで日本食は水がないとやっていけないのである。水がなくていいのは刺身ぐらいのものである。そーめんなどはどんぶりにいっぱいに入れた水を、中味を食べた後は捨てなければいけなくてもったいなさがつのる。
実に日本人の食べるものは水っぽいし、まず、水がないとはじまらないのである。

 その点、アメリカ人の食事は簡単である.パンを買ってきて、ステーキを焼いて、スパゲテイーを電子レンジでチンして、できあいのサラダをならべておしまい。水がいるのはコーヒーぐらいなものである。


■そういうわけで、3.6リットル×6個を持ち運んで階段を昇り降り。
 他方、われわれ日本人は週に2回はスーパーへ水を買い出しに行かなくてはならない。それも、一回に6個も持ち運んで階段の昇り降りも大変である。

手のひらには袋の紐の食い込んだあとがくっきり残る。スーパーへ行って最初にレジで戸惑うのはペーパーオワプラスチックと聞かれることである.最初は何のことかわからずきょとんとしなければならない(どんな案内書にもアメリカのスーパーではレジで紙袋かプラスチックの袋かどっちにするかと聞かれるとは書いてない。ちなみに、マクドナルドではヒヤオワツーゴーと聞かれ、ハー?と首をかしげる)。

 重い水を買うと紙とプラスチックと二重にして入れてくれるがひとつの袋に2個水を入れて運ぶと手のひらにふくろが食い込んで痛い。これをいつもいつも繰り返さなければならないと思うと日本の水道は実にありがたいのである。

 しかし、レストランへ行くと日本と同じようにコップにたっぷりとまず、水が運ばれてくるが、あれは水道の蛇口から出てくる水をそのまま運んでくるのであろうか。




『ボストンセルテイックス』


■アメリカ3大プロスポーツのひとつ、バスケットボール。
 野球の大リーグやアメリカンフットボールと並んでアメリカのプロスポーツ界の人気を3分しているのがNBAすなわちバスケットボールである。

 今年はマイケルジョーダンの復帰で今のところシカゴブルズがだんとつの成績を収めている。ジョーダンといえば彼の父親はドクトルカメさんがアメリカ滞在中の頃、高速道路のパーキングで、ジョーダンがプレゼントした赤いトヨタレクサスに乗って休んでいたところを強盗に襲われて殺されてしまっている。
かってジョーダンが引退表明したのもこの事件が引き金になったといわれており、ドクトルカメさんも夜の高速道路のパーキングはあぶないと胆に命じたことを覚えている。そして、高級車なんかアメリカでは強盗のターゲットになるばっかりで乗るもんじャないと思った。


■ボストンのホームチーム「セルテイックス」の試合を初観戦。
 ボストンのホームチームはセルテイックスである。緑がチームカラーである。近ごろの成績はあまりかんばしくないが、バルセロナオリンピックでも大活躍したラリーバードというスーパースターがいたころは全盛期でNBAのチャンピオンフラッグを何回も取ったことがあり、緑色のユニフォームがコートで輝いていたという。

 ドクトルカメさんもかって学生時代バスケットボール部に所属していたこともあり、一度は本場のバスケットボールを見てみたいと思っていた、が、なかなかチケットが手に入らないこともあり行く機会がなかった。
 しかし、意を決して3月も半ばの金曜日の夜、病院から10分ぐらいの距離にあるボストンガーデンに出かけてみた。途中、路上のパーキングメーターのある駐車スペースはほとんど空がなく、大勢のファンが詰めかけているのがうかがわれた。すでに7時を15分は過ぎていたがぞくぞくとあちこちから人々がボストンガーデンに向かって歩いていた。

 試合はもう始まっていると思われたがガーデンの周りは大勢の人でごったがえしていた。その中でガーデンとは反対方向を向いて高く挙げた右手に紙きれをはさんで”テイケット、テイケット”と声をはりあげている男たちがいた。ダフ屋だった。何だ、やはり、アメリカにもダフ屋はいるんだとすこし、安心したような気分になった。

そのうち、一人の男と眼があってしまった。男がチケットは持っているかと聞くのでNOと答えると50ドルだという。”バカな!”と言って歩きつづけた。そのうち、今度は別の男が近寄ってきて30ドルでどうかという。いい席だという。だめだめと手をふりながら男をふりはらうようにして歩き続けた。
そのうち、ガーデンの入り口の前まで来ると今度はさっきの男が20ドルではどうかといった。20ドルか、まあ、潮時かなと思った。ポケットからしわくちゃの10ドル札2枚を出した。席の番号はよさそうな気がした。

 1階から入ろうとするとゲートのスタッフは上を指差して2階席だという。途中の売店でビールとホットドッグを買って紙コップからあふれでそうな泡をすすりながら2階へ上がった。

 アルファベットと数字をたよりに席を探すと柱のそばにその座席はあった。左側は柱にじゃまされて見にくかった。コートは小さく選手はさらに小さく見えた。しかし、驚くことにこの席のすぐ上にはコンクリートの庇が張り出しており、その上には3階席まであった。まだこの席はそこから比べればいいほうだった。

 その年のチームの成績は下降気味であったが座席はほぼ満席状態であった。試合はボストンがマイアミをリードしてがんばっていた。セルテイックスが点をとればワーと盛り上がり、マイアミが点をとればシーンと拍手一つなく、それはそれは応援態度ははっきりしていた。昔、日本でみたプロバスケットボールよりも選手が真剣だと思った。

試合はセルテイックスが小差で勝った。日本人の一時滞在者にすぎないドクトルカメさんも自分のひいきチームが勝ったような気がしてうれしかった。

 試合が終わってガーデンを出たのは10時近くであった。夜の一人歩きは避けなければと思っていたが、大勢の人が歩いていてその心配は杞憂であった。なお、ダフ屋はアメリカでも違法であることは後から知ったが、買った客もつかまるかどうかはまだ知らない。

■後 日 談。
 夏のある日、ショッピングセンターでボストンセルテイックスの黒人選手がチャリテイーセールをしてサイン入り色紙やボールを売っていた。
その顔は、町中で見かけるうつろな眼をした黒人とは違っていきいきとしており、じつに魅力的な表情をしていた。それは一流のプロである誇りと自信が反映されたものであり、さすがに違うなと思わせるものがあった。